「縮図」というよく使われる言葉がある。 『現実の様相を、規模を小さくして端的に表したもの。「社会の―」』。昨年のアカデミー外国語作品賞を受 賞したこの作品は、日本人の私達が普段身近に接することのない異国、異文化、異宗教の地、イランの中流家庭で起きた事件をテーマに、現代イラン独特の背景 と、他国でも起こりうる普遍の問題を重ね合わせ、見知らぬ国の、正に縮図を見せてくれる。
物語には二組の夫婦が登場する。主役で、冒頭か ら登場するナデルとシミンは、離婚調停中の夫婦。それぞれの主張は相容れず、別居を選択することになる。認知症老人の存在とその介護を担ってきた妻の不 在。 それを埋めるためメイドとしてやってくる女性ラジエーと、後にかかわってくる夫。 この二組の交わりを縦糸にして、やがて起きる事件と、ミステリア スな背景を横糸に据え、ゆっくりと少しずつ人間模様を紡ぎ出すように進む物語はとても濃厚で、見応え十分だ
ラジエーがナデルの家にメイ ドとしてやって来て間もなく起きる出来事で、彼女の深い信仰心を見る。厳格に分けられた男女の関係。夫以外の男には触れることさえ許されないイスラムの教 えが、事件の下敷きになることを、異国の私達も強く刷り込まれる。とても上手い掴みだ。そして次に起きる事件で物語は大きく動く。ラジエーが、メイドとし ての勤めを放棄し、老人を縛って外出、更には家の金にも手を付けたとして激高するナデル。そのまま追い出されたラジエーは、翌日になって、身ごもっていた 子を流産してしまう。
ここで登場するラジエーの夫ホッジャ。元々短気な上に、長く失業しているフラストレーションも手伝って、流産の原 因を作ったのがナデルだと決めつけ、胎児の殺人者として告発してしまう。 一方、ナデルは、ラジエーに対して、父親への虐待を理由に逆告発をし、二組夫婦 の争いは出口が見えない泥仕合の様相になってくる。ラジエーは何故流産したのか?その原因は本当にナデルの所行のせいなのか? また、事の発端、誠実そう なラジエーが、認知症の老人を縛り付けて放置した理由は?これら解きの要素を含みながら、四者の心模様を巧みに描く素晴らしい脚本とリアリティ溢れる演出 に、ぐいぐい引きこまれる。
この物語に登場する人物達には、はっきりした悪意の者は一人もいない。しかしながら、争いが生まれてしまう のは何故か?自分の信ずる価値観の中で、最も大切にすべきものを守ろうと懸命になることで陥りがちな近視眼。気づかないうちに他者とすれ違い、更には亀裂 を生み出してしまう。それが、人間としての性であるなら、私達の身の回りにいつ起きても不思議ではない。だからこそ、私達がこの人々の悩みや痛みに共感 し、争いの行方に目を離せなくなるのは必然であるのだ。
登場人物の大人達は、皆終始曇った表情をしている。僅かに笑顔を見せてくれるのは、二組夫婦の娘達だけだ。屈託無くうち解け、じゃれ合う姿には一瞬癒さ れる。しかし、そんなピュアな態度とは裏腹に、大人達の争う姿には心を痛めている。特にナデル・シミン夫婦の年頃の娘テルメーが、親の鎹(かすがい)になろうと心を砕い ている姿には打たれる。掛け違えてしまったボタンを、時間を遡り直すことは誰にも出来ない。だから再び両親がやり直すきっかけに、自分がなれればという健 気さはどうだ。主人公夫婦は、娘の願いを受け入れることが出来るのか?大人の諍いの結末は・・・。
自分自身の心に誠実であることと、守るべきと考える価値に対して真摯であること、似ているようでありなが ら、両立するには難しいテーマ。それが出来ている人は幸福だ。主人公達の姿から、そんなことを教えられる作品でもある。そして、長く生きるほど色々なモノ や事柄を纏い、何処かで無理を抱えて 生きなくてはならないのが大人なのはよく解っていても、この作品のエンドシークエンスで、究極の難題を前に立ちすくむローティーンの娘テルメーの姿に、ドライな目で向き合えるような、ひからびた心になることだけは願い下げたいとも思うのだ。
オマケ : この映画で取り上げられている数々のテーマは、現代イランの現状を知ってから再び向き合うことで、寄り深く理解出来ます。その道しるべが公式サイトにあるので、未見の方は本編をご覧になるより先にご一読をお勧めします。映画『別離』を理解するためのワンポイント
2012/5/3 シネマジャック&ベティ
2012/7/19 川崎市アートシアターアルテリオ映像館
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